Clover's Cry〜神と神降ろしの少女〜に関する考察と憶測

人類、ザクロこのみさんのカードボイスは聴いたほうがいいぞ。

 

いつかCoCのまとめをやろうと思って……思ったまま……2年ぐらい経ってしまったので……流石にやる。マジでやる。

パンフの公開で朗読劇と白詰草の内容が誰でも見られるようになったし、ミリオンリンケージ等でこの物語に進展があるかもしれないので、今のうちに考えをまとめておきたい。

 

イベントコミュ及び朗読劇と白詰草を読んでいる前提で話を進める。

こっちのセリフなんだよね。

 

凡例

  • 青字 *** 実際に描写がある・明言されている等、確定している事柄。
  • 緑字 *** 実際の描写・明言されていないが、関連する事柄から推測できること。
  • 赤字 *** 実際の描写・明言されていない、補完するしかない事柄。妄想。

参照元

本編コミュ

  • 共通#1『神降ろしの夜』
  • 共通#2『思惑』
  • メイン#3『ザクロの実』
  • メイン#4『窓の外に蠢くもの』
  • 虚実#3『神のいる村』
  • 虚実#4『全てを知り得たもの』
  • 畏怖#3『捻じ曲がる定め』
  • 畏怖#4『永混』

PSTカード

MILLION THEATER SEASON Guide

  • 朗読劇『真実を写すもの』
  • 白詰草

登場人物

記事内での表記は全てカタカナで統一する。

永混(エマ)

演:横山奈緒

神、と呼ばれている存在。その正体は、遥か昔にそらから落ちてきた、大いなる力。元々はただの力であり実体を持たない彼女が人の姿をするようになった理由は、アウロラがヒントを語っている。

神は力で、実体を持たない。それがこんな風に形を得て人の生活に混ざるようになったのは、元はと言えば人間達の都合だ。山奥の集落で、彼らは己の身を外の世界から隠すため、その力を求めた。

後述するが、ここで言う人間達というのは集落を乗っ取った『鳥の一族』を指す。鳥の一族は外界から身を隠す必要があり、神の力を借りている。神と契約している間は定期的に神降ろしを行わなければならないが、神は元々、村では無く山に在った。外界から身を隠している鳥達にとって、定期的に交信しなければならない神が山に居るというのは都合が悪く、村の傍に移す必要があった。その過程で人間の姿になったのではないだろうか。

自分が神(大いなる力)であると自覚はしていないが、神と呼ばれていること自体は知っているふしがある。アウロラがエマのことを神様と呼んでいるし、白詰草にて「私にも、二つの名前が付けられた」というモノローグがあり、それは"エマ"と"神様"の二つではないかと思う。エマとアウロラが共に大いなる力が形を持ったものだとするのであれば、"エマ"と"アウロラ"を指して二つの名前という意味かもしれないが……。

やりなおしの影響によって記憶が混濁している。おそらく、エマの記憶を封じてしまうのはエマ自身(合理的に考えるのなら、やりなおしを回避するのであれば以前の記憶を持っている方が都合が良く、アウロラがわざわざ記憶を封じるとは考えにくい)そのため、何度やりなおしても同じことを繰り返す。

 

逢路蘭(アウロラ

演:大神環

神の眷属。ルーツは不明で、アウロラ自身も知らないらしい。大いなる力と共に落ちてきた何かなのか、あるいは、エマと共に大いなる力が形を持った姿なのか。「逢路蘭は、いつだって私の傍にいる。姿が見えなくても」という描写から、エマと同一の存在というようにも受け取れそうだが、それにしては性質がエマとかけ離れ過ぎている気がする。

エマと自分が人間ではないことを理解しているが、『やりなおし』の度に振る舞いを変えて変化を楽しむなど、やや人間寄りの行動を取る。ただし、死の概念を理解できなかったりと、その感性は根本的に異なるようだ。

エマが人間のように振る舞うことを好ましく思っており、『エマが人間ではないと露見する』ような行動に対して強い嫌悪感を示す。真実を知ってしまった人間を殺害するなど、かなり過激な行動をとる。エマを神様と呼ぶのは何故かセーフらしい。

エマが村人達を助けようとしていることを理解しており、叶えてやりたいという思いも多少はあるらしいが、アウロラにとって人間の生き死には些事であり、手助けするにしてもかなり消極的なものとなっている。ヘルミに神の望みを聞かれた際にヒントを与えてはいるが、積極的にコントロールしようとはせず成り行きに任せている。

最近では、あれの望みを叶えてやりたいのか、そうではないのか、自分でもわからなくなってきた。どちらにせよわかっているのは、終わりが来るその時まで、自分は傍にいるという事だけ。眷属とはそういうものであって、それがあれや自分の望みかどうかなど、関係がない。

 

凛音亞(リンネア)

演:馬場このみ

村長の娘で、ヨハンナの双子の姉。村長を継ぐはずだったが、病弱であったためヨハンナの代わりに家を出された。ヨハンナが自分の妹であることは薄々感づいている。

やりなおし』を行うたび生まれ変わっており、その都度名前が変わる。コミュ内では凛音亞(リンネア)として過ごし、『やりなおし』が起きた際には、得瑠沙(エルサ)として転生した。白詰草にて染吹亞(ソフィア)という名前が出てくるが、これはリンネアの最初の名前ではないかと思う。その名前を口にしたエマに対するアウロラの反応から、それが(少なくともエマにとっては)重要な名前であり、呼んでしまうことが過去に何度もあったのではないか、と感じることが理由。あとメタ的に言えば、わざわざ過去の名前を出すなら、相応に意味のあるものなんじゃないか、と思うため。単に1つ前の名前を呼んでしまった、という可能性も無くはないが……。

孤児院のみんなに仲間意識を持つ一方で、自分たちを助けてくれない他の村人達には強い敵意を持っており、終わりを悟ったリンネアは廃教会で本音をぶちまけている。

 

夜羽那(ヨハンナ)

演:木下ひなた

村長の娘で、リンネアの双子の妹。病弱だったリンネアに代わって村長を継ぐことになる。リンネアが自分の姉であることを知っている。

やりなおし』を行うたび生まれ変わっており、その都度名前が変わる。コミュ内では夜羽那(ヨハンナ)として過ごし、やりなおしが起きた際には、慧深璃亜(エミリア)として転生した。白詰草にて叡利(エリ)という名前が出てくるが、これはヨハンナの最初の名前ではないかと思う。

「……恐ろしい夢を見るんです。儀式を行ったのに、皆が死んでしまう夢を、何度も何度も……」という発言があるが、これは過去のやりなおしの記憶ではないかと思う。

姉であるリンネアのことは想っており、身代わりにすることの後ろめたさを感じている。が、自身が神降ろしを行う勇気は持てず、神降ろしの実行者としてリンネアを指名する。ただし、リンネアを身代わりにすることに関しては先代村長の意思も関わっているらしい。

 

深淵海(ヘルミ)

演:秋月律子

都会からやってきた学者。幼い頃に一度村を訪れており、その時にエマやアウロラと会っている。エマ達の姿が当時から全く変わっていないことに興味を持っており、エマやアウロラが『神に近い存在』であると考えている。

研究のためには殺人も厭わないような人物。先代村長が契約の解消を目論んでいると知っている上、アウロラが先代村長は厄介だと明言したことを受けて、先代村長を殺害する。

神降ろしの嘘をエマやヨハンナに吹き込んだり、ヨハンナを殺害するようリンネアを唆すなど、裏から引っ掻き回した果てに神の正体へと至ってしまう。

本編ではエマが神であると察してしまった上、それを証明しようとしてアウロラに殺害される。その際、虫の息でヨハンナの元へ戻っているが、余計なことを喋りかねないヘルミを、アウロラが生かして返すだろうか? という疑問が残る。朗読劇ではアウロラがヘルミに化ける描写があるが、「厄災は終わらない」(もう一度神降ろしを行う必要がある)と村人に教えるため、アウロラが化けた姿なのかもしれない。理由は後述。やりなおし後には登場していない。

 

使用人

演:島原エレナ、真壁瑞希

村長の家の使用人達。朗読劇にて登場。

インスタント食品を見て、魔法みたいだと驚く。これは村と外での文明レベルの乖離を示すヒントになる。登場はしないが車も存在している。都会に居るヘルミのシーンでは背景にビル群が映っており、時代設定的にはほぼ現代だと思われる。つまり、この村は半世紀以上は『やりなおし』を繰り返していることになる。

 

旅の画家

演:ロコ

村に迷い込んだ旅人の1人。真・千鶴と共に村にやってくるが、村の風景を描き残しておきたいと1人村に残る。

スケッチのため、村をうろついているうちに廃教会へと辿り着く。このとき、アウロラから「ここに近づいちゃダメだよ」と警告される。アウロラを追いかけてきたエマと絵の話になり、エマに絵を教えようと進言するものの、アウロラに邪魔をされてお流れになる。アウロラが邪魔をしたのは、エマが自分達の姿を残せるようになったら困る(本当の姿が絵に残ってしまう)からだと思われる。そのまま2人は去ってしまうが、ロコはこの時に、2人の姿をスケッチに残してしまう。

アウロラの警告を無視し、夜中に廃教会へ忍び込むロコ。廃教会の内部をスケッチするためにスケッチブックを取り出すが、昼間スケッチした2人の姿が異形に変わっていることに気付く。そこへやってきたアウロラに、それが真実の姿であると告げられたあと、おそらく殺害された。

 

旅の商人

演:菊地真二階堂千鶴

村に迷い込んだ旅人たち。ロコと共にやってくるが、村の風景を描き残したいというロコを残し、一度村を離れる。

街での用事を済ませた後にロコを迎えに戻るが、村に辿り付けずにいるところ、ヘルミに声を掛けられる。

ロコは先に山を下りたから、麓まで送っていこうか、というヘルミからの申し出を受け、そのままヘルミについて行ってしまう。朗読劇(映像)ではこの際3人が画面外にフェードアウトするのだが、ヘルミにのみ姿がぼやけていく演出が入る。アウロラがロコに接触した際もヘルミに化けていたことを考えると、この時2人に接触したのはヘルミではなくアウロラだと思われる。アウロラが2人に接触する理由は想像でしかないが、2人はロコを探すため今後も村を探し回る可能性があり、そうなればまた廃教会に近づいてくる可能性は高く、先に始末してしまおうという考えなのかもしれない。

 

先代村長

ヨハンナとリンネアの親。作中ではヨハンナが村長であるため、区別のため先代村長で統一する。

 

諸々の謎のこと

村について

ここは、北の果てにある寒村。外界との交流を避け、世界から忘れられた地

この村には、罪がある。だから隠れなければならないのだと、父は言った。そのために、神と契約したのだと。
神は摩訶不思議な力を使い、雪で、薄曇りの空で、幻影で、人々の目から私達の先祖の罪を覆い隠す。

外界との交流を避ける理由は何か? 村の罪とは、隠れなければならなかった理由は何か? これらは、村の寓話がそのまま答えであると考える。

遥か昔、気性の荒い鳥の国と、穏やかな魚の国があった。鳥は争いに明け暮れていたが、ある時争いに負けてしまい、争いから逃げている最中に魚の国を見つけた。魚は鳥を憐れみ匿ってくれたにも関わらず、鳥は魚の国を乗っ取ってしまった。鳥は魚に成り済ますため、その土地に住む"不思議な力を持ったモノ"を探し出し、自分達の姿を変えてもらった。その力により、鳥達は村の中に居る間だけ魚の姿に見える。こうして、鳥だけが住む魚の国が出来上がった。

原文でも"村の中に居る間だけ"と言っている。村って言っちゃってるじゃん。

不思議な力を持つモノとは神(大いなる力)のことで、魚は人間達のことで、鳥はリンネア達の祖先だと思われる。この話をするリンネアがただの寓話だとしか思っていない以上、当事者達はとうの昔に居なくなっており、今となっては鳥達自身ですら自分達を魚だと思いこんでいるのかもしれない。ここで気になるのは、鳥は人間なのか? ということである。

けれど、鳥は鳥です。どうしたって、魚には見えません。

今よりもはるか昔、この村に住んでいた人々は、今ここにいる彼らとは少しばかり違う見た目をしていた。ある日を境に、村にいる人間は、後から来た彼らだけになった。

鳥に関する言及を見ていると、人では無い何かなのではないかと思えてしまう。外界との交流を避けているとあるが、実際にはヘルミが村にやってきたり、食料の取引があったりと、最小限ではあるが『人間』との交流は行っている。であれば、鳥と争っていたというのは、一体何者なのだろうか。

争いに明け暮れていたことが村の罪であり、争っていた敵達から逃げるため、神の力で身を隠してもらった。鳥が厄災をかぶるのは自業自得であるが、子孫であるリンネア達までその罰を受けているのは可哀想ではある。

 

定期的な『やりなおし』によって村は厄災が起きる前の状態に戻されるため、村の中と外では時間の流れが乖離している。『やりなおし』後にリンネアとヨハンナの名前が変わること、また、2人に対するアウロラの言葉は、『やりなおし』とは時が巻き戻るといった類のものではなく、『やりなおし』後の状態にはブレがあることを示している。

顔立ちは今までの者と似通っているが、接してみれば、個体として別の生き物だという事がわかる。

「姉と妹、兄と弟で、逆の場合はあるけど」

完全に別の存在であるならば、「逆の場合」という表現は不自然だ。これは、『やりなおし』後もリンネアとヨハンナが姉妹、あるいは兄弟になることを示している。過去の『やりなおし』の記憶を無意識に保持しているような描写を踏まえれば、個体とは別の存在となるが、魂は同じ。よって輪廻転生という表現が適切だと考えた。

 

廃教会はアウロラにとって特別な意味があり、余所者が近づけば必ず飛んでくる。具体的には、ここに大いなる力が在るのではないかと思う。

幼いヘルミから「村の人以外は、入れないの?」と問われたアウロラは「入ってもいいけど、どうなってしまうかわからないから」と答えた。人間の感覚からすれば、誰もが神の力に触れられる状況というのは確かに"どうなってしまうかわからない"と感じるが、アウロラはそんなことを気にしないだろう。アウロラとしては、大いなる力に触れること自体は別に構わないが、それによってエマとの関連性に感づかれてしまうことを危惧しているのではないだろうか。事実、廃教会へ忍び込んだロコは自身のスケッチからエマの正体を知ってしまい、アウロラに消されてしまった。ロコのスケッチが真実を見せたのは、ロコの好奇心に大いなる力が応えてしまった結果なのかもしれない。

MVでは巨大な触手が祭壇を覆う演出が入るが、ロコがスケッチした異形の姿も触手の塊である。

ところで、何故"廃"教会なんだろう? 神降ろしは廃教会で行っているし、吹雪がひどくなってきた時には村人やエマ達が廃教会へ避難する等、今でも現役の施設であるのに、メンテナンスがされていないのは違和感を感じる。

 

厄災とは

厄災については一際謎が深い。言及も少なく説明もわりと雑なので、ただのフレーバーなのではないかとすら思っている。ほぼ想像になるが2つの可能性を考えた。

前提として、『厄災を鎮めるためには神降ろしの儀式を行い、神との契約を新たにする必要がある』。言い換えれば、『儀式で再契約を行わなければならないタイミングで厄災が起きる』ということ。

 

1つ目の可能性として、エマ、あるいはアウロラが引き起こしている説。本編でも一貫して「神が気まぐれに引き起こす」とされている。が、エマの願いは『みんなと穏やかに暮らせること』であり、そのエマが厄災を引き起こすというのは不自然に思える。とはいえ、『儀式を行わない』とはすなわち『契約の解消』を意味しており、神降ろしが行われなくなれば、契約によって村に居るエマとアウロラは村で過ごす必要がなくなってしまう。みんなと暮らせなくなるというのは本末転倒であり、厄災という形で無意識に契約を迫っていると考えれば筋は通るか。エマが厄災を引き起こしていないとすれば、エマのためにアウロラが厄災を起こしている線もあるが、どちらかと言えばこちらの方が可能性高いか?

 

2つ目の可能性として、鳥の敵によって引き起こされている説。神との契約を新たにしなければならないということはつまり、神との契約が弱まっていると言い換えられる。神との契約の恩恵は『鳥の敵から鳥達を隠す』ことであり、その力が弱まった結果、敵に自分達の存在がバレてしまい、それが厄災という形で現れているのではないか。実際、リンネアとヨハンナは『あれ』に襲われた記憶を持っている。ヨハンナは教会でヒステリーを起こして窓ガラスを割り、カーテンを閉じさせた。リンネアは教会で発狂し、窓の外に『あれ』が来てしまったと叫んだ。その際、ヨハンナは「儀式を行ったのに、皆が死んでしまう夢を何度も見てしまう」と話し、リンネアは「どうせみんな死ぬのよ! 何も知らずに……ああ、なんて気の毒な人たち!」と叫ぶ。これらは厄災に関する発言だと考えられるが、それと窓の外の何かが関係しているらしい。窓の外に居た『あれ』とはなんなのか? 鳥の敵だった相手しか考えられない。

 

神降ろしとは

こちらも具体的な部分は謎となっている。

神降ろしに失敗した場合は死ぬと明言されているが、神降ろしの実行者は『生贄』だの『捧げる』だの碌な呼ばれ方をしていないので、成功したとしても何かしらの悪影響がありそうな雰囲気がある。

神降ろしは村長の役目である。本人が身代わりを名乗り出た場合に限り、村長以外が神降ろしを行うことができるというのはヘルミの嘘。神降ろしの実行が村長にしか認められない理由は不明だが、神の眷属であるアウロラ自身が明言する以上、それは間違いない。

 

神降ろしによって、リンネアとヨハンナに変化が起きたのは何故か? その理由として2つの可能性が考えられる。あるいは、その両方かもしれない。

リンネアの変化:病弱だったが雪かきのような力仕事ができるようになっており、食べられなかったはずのザクロが食べられるようになっている。
ヨハンナの変化:尊大な態度が一変、笑顔で村人に施しを与えるようになっている。

 

1つ目の可能性として、実際は変化など起きていない、ミスリード要素説ヨハンナに関してはわかりやすく、本来こういう性格であると先代村長の手紙で明言されている。リンネアのザクロに関しても、アレルギーを起こす原因はザクロの皮であり、皮を避ければ元々食べられたはず。

リンネアの体調の変化が難しく、これが別の可能性を考えさせる原因。そもそも病弱ではなかったというのは、やや無理筋だと思っている。儀式から逃げるために病弱な振りをしていたとすると、それによって村長の家から出され、代わりに村長を継いだヨハンナから身代わりにされかけるなど本末転倒もいいところだ。加えて神降ろしは、早ければ数年周期で繰り返されるものであり、これからも一生ついてまわる問題だ。1回避けられたからといって病弱設定を無くしてしまっては、次の機会にはやらざるを得なくなってしまう。ヘルミから、リンネアが村長の娘だと告げられた際には否定する素振りも見せないと、ここまで病弱設定を貫いてきたにしては詰めが甘すぎる。本編では咳き込むタイミングが神降ろしに指名された時だけだったので、リンネア、やってんのか……? と思ってしまったが、朗読劇ではずっと体調悪そうだったので、流石に本当だと思いたい。朗読劇ではエマと共に雪かきをしている描写があるため、簡単な力仕事なら元々できた、というのが落としどころか……(その変化にエマが困惑しているため、かなり苦しいが)これに関して、アウロラが何か干渉した可能性があるが、これについては後述する。

 

2つ目の可能性として、エマの願いが反映された説エマが神降ろしをした際に願ったのは『みんなと穏やかに暮らせること』であり、その結果ヨハンナは本来の性格を取り戻し、リンネアは健康を取り戻したのではないか。神降ろしによってそのような変化が起きたことにエマは困惑し、ヘルミも興味深そうにしている。過去の神降ろしと異なる変化が起きた理由は神自身が神降ろしをしたことではなく、願いの内容が異なるためではないかと考えている。

 

実のところ、エマの神降ろしは失敗だったのだろうか? 実は、エマの神降ろしは成功していたんじゃないかと考えている。

孤児院には元々、他にも子供たちが居た。エマの覚醒前に映り込んでいるし、ヘルミがエマに神降ろしの嘘ルールを吹き込みに来た際の会話で、リンネアはエマに「永混、みんなと留守番お願いね」と声を掛けている。ところが

神降ろしがうまくいけば、リンネアもアウロラも助かる……もう、ふたりしかいないんだ……私が助けなきゃ……!

アウロラ、勝手にいなくなっちゃダメだよ? もう、私達しか残ってないんだから……。

これらはエマの神降ろし前後のセリフであるが、この時点で孤児院の子供たちは、リンネア・エマ・アウロラの3人しか残っていないことを示している。ヘルミが来訪したのは長くても神降ろしの12日前であり、その間でこれだけの犠牲者が出ていると考えればかなりペースが早い。村全体で考えればもっと多いだろう。エマが神降ろし後、昏睡から回復するまでに2日以上は経っていると思われるが、その間で犠牲者は一切出ていない。エマが意識を取り戻した後も、厄災が終わらないというのはヘルミがそう言っただけで、結局、最後まで厄災は起きていない。

何をどうするか、決めるのは神なんだ。

神降ろしは村長がやらなければならない。それは事実だが、そのルールを決めているのは神であり、神本人が力を使うならそんなのは関係無いというわけだ。

とはいえ、ヘルミの策略によってエマが神降ろしを行ったことについてアウロラは「あいつが余計な事をした」と怒りながら「お陰で、またやり直さなくちゃだよ」と悪態をつく。エマ自身が神降ろしを行って事態が解決するのであれば万々歳のように思えるが、そう単純ではないらしい。

神降ろしを行ったエマの腕に現れたアザの詳細は不明だが、ヘルミの反応を見るに、エマと大いなる力(ヘルミ曰く『彼の者』)関連付けるものだったらしい。ヘルミ達の研究はそれなりに進んでいたようで、神が村人の中に紛れ込んでいることを推測していた。

 

やりなおし

……ねえ。これって、夢なのかしら? 永混が私の身代わりになってくれたのも、みんな夢で……。本物の私は、神降ろしに失敗して……もうとっくに、死んでいるんじゃないかしら……。

ソフィアによる神降ろしの失敗が全ての始まりだった。病弱なソフィアは神降ろしに耐えられず、命を落とした。

哀れんだエマは彼女に命を与え、もう一度やり直すことにした。今度は彼女が犠牲になることが無いよう、自分が身代わりになろうとして。

自分は時々こうして変化を楽しんでいるが、あれは長い間、ずっと同じ事をしている。自分に捧げられる人間を、助けようとするのだ。

いつも同じ選択をして、いつも同じ間違いをして。そして、いつも傷付く。

今回の神降ろしについて、「凛音亞だと、少し都合が悪い」のは何故だったのか。それは、エマが身代わりとして出てきてしまうからでは無いだろうか。アウロラの口振りから、『やりなおし』が起きるまでの大筋は今までと同じ展開だったはずだ。

……言ったところで、どうにもならないとは思うけど。

エマにリンネアを庇わせて、契約を神自身に肩代わりさせれば、『村と神の契約』は解消される。それこそが先代村長の目論見だったのではないか。ヘルミが色々と引っ掻き回しているように見えるが、なんのことはない。結局のところ「今回も、結末は変わらなかった」のである。

 

アウロラ曰く、リンネアでは都合が悪く、神降ろしは村長を継ぐ者の役目であるならば。この輪廻を抜ける条件は『ヨハンナが神降ろしを行う』以外に残されていない。しかし、ヨハンナは神降ろしを恐れており、病弱な姉を身代わりにしてまでも、自分で神降ろしを行うことができなかった。

永混ならきっと、体の弱い凛音亞を庇います。けど、自分の命を賭けてまでなんて……。

エマが身代わりになると信じられないのも、そんな彼女の心が表れているのだろう。

 

もはや今回の『成功』を諦めたアウロラは、喋られないという演技を辞めて『素』の状態でリンネアに接触した。その影響を受けてか、リンネアは自分達の状況を理解する。

……ねえ。これって、夢なのかしら? 永混が私の身代わりになってくれたのも、みんな夢で……。本物の私は、神降ろしに失敗して……もうとっくに、死んでいるんじゃないかしら……。

そうかもしれない。けど、夢なら夢でいいでしょ。

……。そう、ね……。

この会話が行われたのはエマによる神降ろしの直後(2日後ぐらい)であり、リンネアの変化に関係しているのかもしれない。

『厄災』も『神降ろし』も、もうたくさん! ……さわらないで! どうせみんな死ぬのよ! そうよ……私だって、何も知らなかった……夜羽那……どう足掻いたところで、貴方の罪は許されないわ……!

『厄災』は、『神降ろし』で止まるはずだったのよ。そう……正しく行われてさえいれば……!

どちらもリンネアのPSカードのセリフ。本編ラストの廃教会にて、発狂するリンネアの補足だと思われる。ヨハンナではなくエマが神降ろしをした時点で、もはや取り返しがつかないということを、リンネアも理解してしまった。

君と妹、どちらかを差し出さなくちゃいけないとして……どっちにする? もちろん、どちらであっても失敗する可能性はあるけどね。

それは……失敗したら、どうなるの。

みんな死ぬ。それだけだよ。

みんなが寝静まった後、リンネアはヨハンナを生贄にし、儀式を行う。結果は失敗。村人達は変わり果てた姿となり、ヨハンナは死んだ。

リンネアが儀式に何を願ったかは不明だが、彼女は最期にこう言い残している。

大丈夫よ、永混。貴方ひとりを、置いていったりしないから……。

自分を身代わりにした妹ではなく、身勝手な村人達ではなく、彼女はエマを選んだ。かくして『やりなおし』は繰り返され、やり直された村で、エマは再び目を覚ますのだった。

 

あとがき

もっと情報が星井。改めて頭の中を整理しても、永遠に混乱してしまうよ。シーズンはCDにボイスドラマが付かなかったのが悔やまれる……。

朗読劇と白詰草で多少わかったことは増えたけど、まだまだ補完しなきゃいけない部分が多すぎる。

いつか新展開が来て、みんなが救われたら良いな……ヘルミはもう死んじゃってるんだけど……。

 

おわりです。